第35回記念道彩展
平成27年9月16日~9月21日/札幌市民ギャラリー

第35回記念図録掲載文
第35回記念展に寄せて 運営委員長 小 堀 清 純 水彩画の公募北海道水彩画展(略称、道彩展)も回を重ねて、今年で創立35回を迎えることになりました。昭和57年2月、大同ギャラリーにおいて、現代水彩画の多様な表現と創造的な作品を追求することを目的として、同人展(第2回から公募展に改組)からスタートしました。道彩展は水彩画を愛するあらゆる分野の人々を広く集め、剌激し合い、新しい表現と価値を認め合う広場を作ろうという趣旨で発足しました。顧問として、道展から納直次、今野ミサ、全道展から国松登、八木保次、新道展から沖本友吉、白日会から川村正男というそうそうたる顔ぶれの先生を迎えました。スタート当初は、出品者も60人余りで、財政的にも厳しく、どこまでやれるか苦心惨惟するなど、様々な事情が走馬灯のように目の前に浮かびます。 現在は、会員68名、会友15名、人選者が約90名前後と規模が拡大し、多少偏りがありますが出品者も全道的(函館と江別に連絡事務所を開設)に広がり、機関誌みずを発行し、例年、会員会友展や写生会を開催しております。 創立当初から一貫して熱心に指導・支援を頂いていた八木保次先生は、平成24年3月に逝去されました。先生の教えてくださった精神は、私たちの心にいつまでも生き続けていくと思います。ご遺族よりのご寄付により、八木基金が創設されました。 最近の傾向として、グワッシュ、アクリル、ジェツソ等を用いるなど多様な表現と主観を重視した作品が多くなってきております。また、道内外の公募展で会員として活躍する者も増えております。 これからも会の発展のため、会員・会友が日々研讃を怠ることなく、真に明日の水彩画はどうあるべきかを問い正し、より一層の精進を期したいと思います。 最後に、関係各位には、一層のご支援とご鞭捷をお願いする次第です。
印象主義と表現主義 ―第35回記念道彩展によせて 作家 札幌時計台ギャラリー代表 荒 巻 義 雄 写実主義に学びつつも、屋内から屋外に出て、光に満ちた世界をありのまま己の中に受け入れようとしたのが、フランスで起こった印象派の運動であった。 彼らは、自然というものを光と色が戯れる場として捉えようとしたのだ。まさに、世界観の大きなパラダイムシフトである。 それまでのコチコチだった世界観が一変、“風光る”動の世界、外光派の作品となった。 しかし、印象主義は1880年代を頂点として衰退を始めると、20世紀初頭の1905年、ドイツを中心として表現主義が興る。 両者の明らかな違いは、南欧と北欧の光の差である。気質的には、ラテン系とゲルマン系の気質の差でもある。 表現主義では、印象主義とは反対に、人間の内なる感情を外部へ押し出すのだ。 仏語のimpressionnismeと独語のExpressionismus、それぞれの接頭語が意味する、(im/内)と(ex/外)のちがいである。 わかりやすく英語になおして説明すると、くim+press/心に押しつける→印象を与える〉と〈ex+press/(考えを)外に押し出す〉のちがいである。 同じヨーロッパでも、南と北とでは、その土地に棲む人々の精神の傾向にちがいがあるということである。 さて、道彩展の傾向はと言えば、表現派と印象派がせめぎ合っているように見える。そこがおもしろい。 絵画というものは、期せずして、それを描いた人の心を映し出す鏡でもあるのです…。 最後に、心より、道彩会の35周年をお祝い申しあげます。
心を豊かにする水彩画への情熱 美術ジャーナリスト 五十嵐 恒 水彩画の魅力を発信し続け35年―。道彩展に結集し、水彩画のレベル向上を底辺の拡大に情熱を注ぐ皆様方に心から敬意を表します。 35回記念展の開催、本当におめでとうございます。 歴史を刻む記念展にどなたが、どのような力作、大作を発表され、どのような作品が審査の関門を突破するのだろうか。今から大変楽しみであり、期待をしています。 道彩展の第1回展は1982(昭和57)年ですが、実は私が当時の北海タイムス社会部から文化部に異動になり、アートの分野を担当することになったのは、初の道彩展が開かれた年と全く同じ年なのです。大げさに言えば、私の美術とのかかわりは、道彩展の歩みと同じということになるのです。偶然とは言え不思議であり、誇りにさえ思っているのです。社会部畑が長く美術の分野には殆ど関心がなく、美術館やギャラリーに行ったこともなかったのに…。 私の古いスクラップブックをさかのぼって開いてみました。ありました!1983年9月に札幌市民ギャラリーで開かれた第3回展を取材した記事が。それには「水彩画の愛好者が年々増え、前年より約50点も多く搬入された。展示されているのは70人の作品158点。抽象画的な絵の具の使い方や、一見、水彩画とは思われないような思い切った筆の使い方…など多彩な作品が人目を引く。道水彩画会では、年々レベルが向上してきた、と言っている」と写真入りで書いています。われながら懐かしく、同時に「もっと書きようがあったはず…」と反省しています。 昨年の第34回展は、164点が展示され、入場した1,300人を超える美術ファンの心を捉えました。多彩な作品は、見る人の心を豊かにし情緒をはぐくみます。私自身、多くのエネルギーをいただいており、描く皆様方の情熱を受け止めています。 オーバーにならずに、いかにして個性を発揮するかがポイントかと思います。道彩展の一層の発展を祈念します。
山の主婦達の想い 会員 斉 藤 洋 子 それぞれの月日も過ぎ、又、道彩展の季節がめぐってまいりました。創立の頃から、今は亡き八木先生ご夫妻の大きな御苦労のあと小堀先生はじめ、会員・会友の方々中心の連携で、どんどん大きく成長されている会の現状を想い、ますますの御発展を祈るばかりです。 山奥の主婦達、道彩の皆様のメンバーに入れていただき、いろいろ悩んだり、楽しんだりしながら、こつこつ勉強させていただいております。 先日はメンバーの沢ロキエあてに道彩展のポスターや沢山の書類をお送りいただき、ただただ厚くお礼申し上げます。時節柄、美しい自然の中でくらしながら、牛や馬とのくらし、又、お年寄りとのくらしに追われ、時々、出札した時に札幌方面の皆様のご様子から刺激を受け、又、山へもどってまいります。絵を描くことへの喜び、楽しみや苦しみは、山の主婦なりに胸をふくらませ、がんばっております。 今後も、くれぐれもよろしく御指導下さいませ。
絵から頂く幸せ 会員 山 田 陽 子 ずっと以前、八木伸子先生は「絵から頂く幸せ」について話されました。実は、私の胸の内を去来している思い出もありました。以来、絵を描くことや見ることの他にも絵を通して頂くたくさんの幸せがあるという実感をつよめて過ごしてきました。その事を気づかせてくださった八木保次・伸子先生との出会いは、まさに私の「絵から頂く幸せ」の第一歩でした。30代半ばの秋のこと、朝日カルチャーセンター水彩画講座に目が留まりました。「絵は心の旅」とのフレーズと初めてお会いする八木両先生の写真が並んでいました。その頃の私は旅など難しく、絵で旅ができるとはなんとステキ!と、気が付いたら八木教室のイーゼルの前でした。絵は大好きでしたが、ほとんど描けない私にとっては幸運のスタートでした。 当時水彩画教室が増えはじめ三大公募展以外にも発表の場が求められていたようです。間もなく道彩展誕生となる訳ですが、八木先生はじめ他展の諸先生方の熱心なご指導なしに今日の道彩展は語れないと、この時も「絵から頂く幸せ」に感謝しています。唯一の創立会員であり道彩展代表として一筋惜しまぬ力 を注いでくださっている小堀先生もかけがえのない存在です。 私は第17回道彩展から15年間連絡事務所となり、年々初出品が増えて行く中、美術関係者や道内各地の出品者の方々と「水彩への思い」を享受し交流させて頂いたことなど忘れ得ぬ思い出です。一番「絵も人なり」を感じた時でした。感動的なエピソードが一つあります。第20回記念道彩展でついに念願の図録発 行にこぎつけ会一同喜びに心熱くしていた丁度その時、「道新の記事を見ました―」と全く関係者でない函館のSさんから電話が入り二冊お買上げくださいました。新聞の力は大きい!と思いましたが、あの時の喜びの大きさには叶いません。そのSさん図録を何度も観て「水彩画に魅せられました」と翌年からは出品・入選し続けて、10年後ついに北海道教育長賞に輝いたのでした。 第35回記念道彩展を迎えた今年、悲しくも八木両先生の姿はありませんが、まだまだ絵や画集から学ぶことも多くあります。今、私はあいの里の空の下「水彩の小さな種」を蒔きながら咲きはじめてきた彩りあふれる花々に幸せを頂いています。
水彩画との出会い 会員 函館地区連絡所 寺 岡 弘 子 夜景とイカの街、ガンガン寺と八幡坂の街などは、多くの画家がその魅力に挑戦してきました。どちらかというと、洋画が主流の世界でした。私も、その一人でした。もっと自由に自分の気持ちや考えを表現できないものかと「もんもん」とした時を過ごしていました。 そんな時、姉の誘いで、第13回展に初出品したのが水彩画との出会いでした。しかも、思ってもいない道彩展賞受賞の栄誉をいただきました。その後は、「現代水彩の多様な表現と創造」の主旨にそい、自由に思い切りよく描くように心がけました。しかし、「自由」という水彩画の良さをはき違えてしまい、自分が求めた原点は、いったい何だったんだろうという疑問に陥ってしまいました。 道彩写生会に参加しました。場所は、北大の構内。函館からの列車は、楽しさと期待感で一杯でした。晴天にも恵まれ、木々の素晴らしさに魅せられました。今まで思い悩んでいたものを吐き出すように、思い切り自由に木々を描きました。自分的には、大満足。ところが、八木保次先生が、私の自信作を何と水で「あーーっ」という間に消してしまわれたのです。でも、時間がたち、乾いた画材には、それこそ「アー一一」という間に素晴らしい絵が出現しました。まさに、「目から鱗」でした。独りよがりでなく、創造性豊かな水彩画を目指すきっかけになりました。また、八木伸子先生の辛口のご批評。穏やかな言葉で会員のレベルアップを願う先生の姿勢は、私に水彩画の奥の深さを教えてくださいました。残念ながら両先生は他界されましたが、お教えに感謝申し上げたいと存じます。 35周年を迎えるに当たり、運営の方々のご苦労に敬意とたくさん、たくさんの感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、水彩の夢を求めて、魅力に満ちた会に発展することを祈念いたします。
道彩会との出会い 会員 武 田 輝 雄 今から33年前、9人の道彩会創立会員の一人、故細井四治郎氏(旺玄会委員)から連絡が有り、「2年前に北海道水彩画会という会が出来たので、出品してみないか」と言われ、当時細井氏が北海道支部長、私が会員ということから、第3回道彩展に出品。奨励賞を受賞、当時幕別町札内に在住していましたので、喜んで夜行列車に乗って、受賞式・懇親会に出席しました。高校大学時代の師、繁野三郎先生・栃内忠男先生の関係で知り合った、国松登先生・今野ミサ先生が同席していたことが、今でも良い思い出として残っております。 当時、地方から額装して送ると、ガラスが割れたり額の角がキズついたりするので、初出品より細井氏の額縁に入れてもらい数年出品していました。 細井氏が退会してしまったので、どうしたものかと思っていた所、林田理栄子氏から、「これからは私の額で出品するようにするから作品を私の所へ送るように」と言われ、林田氏が大学の後輩ということで甘えて、数年林田氏の所へ作品を送り、出品していました。 その後、こんどは林田氏が退会したと知り、いよいよもって私自身出品することが難しくなり、地方在住の私が退会せざるしかないと、小堀氏に電話しました。「それならば私の所へ巻いて送ってくれれば私の額に入れて出品しますから]と言われ、こんどは小堀氏に甘える事となり数年出品する事になりました。 仕事上転勤で札幌に来てからは、道彩展の搬入出の係や写生会の係などにかかわるようになり、現在に至っております。 道彩展は、私か初出品していた時代に比べて、出品者も多くなり、また作品も大きくなり、レベルもあがってきています。 これからも、私自身、出品者の皆さんと共に頑張って北海道水彩画会の更なる発展に寄与したいと思う次第です。