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第30回記念道彩展

平成22年9月15日~9月20日/札幌市民ギャラリー

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第30回記念図録掲載文

第30回記念展に寄せて 運営委員長 小 堀 清 純  1982年2月大同ギャラリーにおいて、現代水彩画の多様な表現と創造的な作品を追求することを目的として、同人展(第2回展から公募展に改組)からスタートした道彩展も今年で第30回を迎えることになりました。同人展の開催に向けて、中心的な役割を果たしたのは、長尾清彦、鈴木茂の両氏で、水彩画を愛するあらゆる分野の人々を広く集め、刺激し合い、新しい表現と価値を認め合う広場を作ろうという趣旨で呼びかけました。第2回展当時の記録によると、会員9名、顧問6名で運営され、入選者57名、平均年齢が37歳という若さでした。これまでの様々な浮沈が走馬灯のように目の前に浮かびます。現在は、会員53名、会友15名、入選者が約100名余りと規模が拡大 し、出品者も全道的に広がり、写生会や研究会も開催しております。函館と江別に連絡事務所を設け、その地域でのグループ活動も見られるようになりました。恒例の写生会には、一般の方を含め約30名余りの参加があり、その合評会には、八木保次先生のユーモアある批評が好評で、多数のギャラリーが集まります。  今日まで様々な問題を乗り越え、継続できたのは、創立時から、一貫した同先生の強い支援、熱い思い入れがあったからと改めて痛感すると共に心より感謝します。同先生なくして道彩展の歴史は語れません。最近の道彩展は、ジェッソやコラージュを用いるなど多様な表現とバラエティに富んだ作品が多く、他の水彩画展に見られないものと一定の評価を得ております。また、道内外の公募展で会員として活躍する者も増えております。水彩画愛好者のすそ野を広げるという当初の目標は、一応定着しているように思います。何といっても、道彩展の魅力は技巧を云々するより、気持ちを優先して、素直に大胆な表現が感動を呼んでいることでしょう。  今後の課題として、会期の延長問題(せめて、10日以上は開催したい。)、出品者がやや固定化しているので、新人の発掘や、若い層の育成があります。皆で力を合わせて、克服していかなければなりません。  会員、会友は、現状に満足することなく、今までに増して精進を重ねて行きたいものです。  最後に、これまでご支援やご協力いただいた関係の方々に心から感謝する共に、厚くお礼を申し上げます。

思い切った冒険を!  ―道彩展30周年展によせて 作家 札幌時計台ギャラリー代表 荒 巻 義 雄  東京八重洲のブックセンターで入手した、『感覚の論理』という本を今、読んでいるところだが、これはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが書いたフランシス・ベーコン論である。  ドゥルーズは現代のもっとも先鋭的哲学者だが、しばしば理解不能の迷路に誘われる。しかし、読みほぐしていくと、たとえば、人体が歪み、融解するようなベーコンの作品を解析する“手付き”から、逆に、ドゥルーズの独特な手法が朧気ながら理解されてくる。  ともあれ、この本から、私は、画家が世界に挑む姿勢と現代哲学が同じ位相にあることに改めて気付いた。本稿では、一部の紹介しかできないが、考えさせられたことを述べておく。  たとえば、みなさんは、絵は描写だと思いこんでいないだろうか。それはちがう。たとえば、クレーの有名な言葉、「見えるものを描写するのではなく、見えるようにすること」これが画家の努めなのだ。  眼球が捉えた網膜に写る像を写し取るだけでは、画家の仕事は終わらない。視覚以外のもの、たとえば〈力〉を描ききる必要がある。これが、クレーの言う「(見えないものも)見えるようにすること」の意味である。  音楽は響かない力を響くようにし、絵画は見えない力を見えるようにする。たとえば時間だ。見えない時間を見えるようにしてこそ、画家はその使命を果たす。  物理的な力では圧力。慣性も重力もある。風圧もある。上昇力と墜落、加速度。生物的な力では、成長する力。芽の発芽。心理的な力ではたとえば、女性の魅力、誘惑、反感、嫉妬など。  セザンヌは南仏の風景を描いて、サンド・ヴィクトワール山の重力を、あるいは山脈の摺曲力を描きあらわすことに成功した。  ゴッホは向日葵の生命力を描き、ミレーは重力に引かれるジャガイモ袋の重さを描いた。  さらなる絵画的冒険を望んでいます。                             (2010/6/3)

ガッシュとの出会い 前・札幌芸術の森美術館長 笹 野 尚 明  昭和20年、敗戦の色濃く、3月の東京大空襲の頃から國民学校(今の小学校)への登校は週一回半日だけとなった。師範学校出立ての担任の先生は朝、1時間目は健康や生活について尋ね、続いて国語と算術が各1時間。3、4時間目が図画工作に当てられた。先生は明日の命に保障もない私達を不欄に思われたのであろう、この2時間に心癒されたのである。教え方も斬新であった。リンゴ、3つを教卓に並べ、前に進んで好きな方向、好きな色で描けとおっしゃる。教科書をただ写す臨画教育は個性も楽しさもないと‥・。  話替って翌年終戦、旧制最後の募集となった男ばかりの中学校に進んだ。そこでの「美術」の時間は大変な様変り。不透明水彩絵具(ガッシュ)が登場。水に溶ける油絵の具と思って使うのが良いと指導される。だが誰の作品も絵具厚く、絵は濁ってごわごわと重たい。透明水彩の爽やかさを思い出し、2時間続きの美術は苦痛になっていったのである。「水に溶ける油絵を考えたなんて大馬鹿だな!」と言って大笑したのを覚えている。更に誰かが小声で「教え方を知らないんだ。不勉強だな」と皆ニヤニヤしたのである。  昨年7月、八木保次先生の作品展を拝見した。すべてが水溶性の絵具、その色の重なりが新な世界を奏でる。その間隙から垣間見る白地との響鳴、水彩という地味な描材が繊細でありながら力のある空間を見せたのである。  再び話跳んで…最近、とある所で水彩の「バラの花」に惹き付けられた。光を透過する可憐な花びら。水彩を知りつくした画家の一点、八木伸子先生の作品であった。伸子先生は今、油彩しか手掛けない。描く冬枯の花は生きている。春の野の花びらは水彩以上に透明で微風に躍っている。描材の特質を徹底して究める一途な努力の結果だろう。  会の幾人かの中堅画家には、一枚の紙の上にアクリル、ガッシュ、透明水彩を重ねて塗り込んでいく、いわゆるミクストメデイアを見る。しかし溶剤は水。色の重なりが見せる効果、その隙間に覗く「地」との関係も見逃さない。絵は奥行きを増す。  良き指導者を載く道彩展の画家であればこそ、油彩では表現し得ない絵画世界を開いてほしいのである。

北大の木立 春陽会会員 全道展会員 八 木 伸 子  毎年道彩会では、6月の最後の日曜は、写生会で皆さんが集まります。  今年も北大構内で、私の大好きな場所ですし、皆さんの絵も見せて頂きたかったのに、最近歩行も困難になり、残念ながら失礼してしまいました。  実は北大風景こそ、私にとって、絵を描くことの喜びと、苦しみを一度に教えてくれた大切な場所だったのです。  終戦を20歳で迎えて、ようやく描きたかった絵を描ける様になりました。戦争中重病に倒れて、やっと回復しはじめた時で、希望の光が見つかったと夢中で描きはじめました。はじめは花や果物など静物でしたが、2年位たって、風景も描きたくなり、時々北大などにスケッチに通っていたのです。或る日、理学部の建物の横の木立を描いていると、突然私のまわりがぐるぐる回りはじめました。それは錯覚だったのですが不思議な感覚に驚きました。そして急にあたりの風景がセザンヌの風景とそっくりに見えたのです。―それまで画集で知っていたセザンヌの絵は、色も形もつまらなくて、興味も無かったのに―。  天に伸びる木々の枝、そして太い幹が根を広げる大地。大きな空間の中でそれぞれがつながって生きる、存在の不思議さ。セザンヌが描きたかったことはこれだったのかも知れない。  それまで、ただ物を見て、それらしくうまく描きたいとやっていた私には考えたこともないことでした。  あれから60何年、いまだに物たちの不思議さに振りまわされ、泣いたり笑ったり、そのナゾは解けないまま、描きつづけている私です。

道彩展の魅力 会員 江別地区連絡所 栗 山  巽  道内の美術界には、種々の団体があって、それぞれ公募展で競い合い北海道の文化発展に寄与している。そんな中にあって、水彩画のみに限定した特異な公募団体、それが道彩展であり異彩を放っている。加えて観る人に「これはすごい表現で迫力がある!」「ほおー、なかなか面白いし雰囲気のある絵もあるネ!」と、まことにユニークで観る人の心を惹きつける。  これらの作品群の一般的な傾向として、どんな対象物でも表現の仕方が新鮮で個性的である。又器用で説明的な絵は殆ど見あたらない。多少稚拙だったり、狂いや矛盾があっても出来上がった作品には、味わい深いものがある。器用でない人が懸命に描いたものに、よい意味の偶然性も含めて、多くの魅力的水彩画が生まれている。  出品作者の多くは、子育てを終えた家庭の主婦や定年退職者達が情熱を燃やし描き上げている。これもこの会の特異の一面でもある。  私自身、退職後水彩画に出合い描き始めた頃、道彩展の水彩画を観る機会を得た。“絵に説明などはいらない、感じてもらえれば、それでよいのか”と。胸が熱くなり、「よーし。」とやる気が一気に吹き出した思い出がある。その後数年経過し、多くの絵仲間と道彩展の魅力を語り合い“みんなで挑戦しよう”と呼びかけ合い今日に至っている。  私の先輩や知人に道内の公募展(道展、全道展、彩道展)や中央画壇で活躍している者がいる。その多くの人の出身母体は、意外といっては何ですが、道彩会であり、ここから巣立っている。いわば道彩会は登竜門である。まこと不思議な魔力を秘めている美術団体!それが道彩会!

あの頃のこと 会員 高 橋 智 子  札幌駅近くにあるビルの12階、その一室を使った教室が、今、私が絵を描いている出発点だった。当時まだ珍しかったカルチャー教室の先駆けだったと思う。初めて教室に入ると既に15人程が、思い思いの場所で用意をしていたが、やがてザワザワしていた部屋の中はサラサラという鉛筆の音だけになった。大抵はスケッチブックに鉛筆だったが、数人はイーゼルを立て木炭を走らせていた姿が、いかにも格好良く映ったのが印象に残っている。デッサンを始めようと思った理由は何だったのか。勤めて間もない頃で、部活の延長のように何か習い事でも、というくらいの事だったと思う。以前からやってみたかった油絵のために、先ずは基礎のデッサンをと考えたかも知れない。デッサン教室は幾つもあったのに、講師の絵は勿論、名前すら知らなかった中で、私があの教室を選んだのは、今思えば何と幸運な事だったことか。あの選択でなかったら今も絵を続けているか自信がない。週に一度のデッサン教室はとにかく楽しかった。描く楽しさと同時に、自由で熱気に溢れた雰囲気が素敵だった。年齢も職業も画歴も様々だったが、そこで出会った何人もの友人仲間達は、大切な宝物になっている。  いつも最後の合評では、たどたどしい絵の私達新人にも先生達は本当に誉め上手だった。今はやっと少しその意味も解る。ウマい絵もへ夕な絵も並ぶ中、心に響くものや圧倒する迫力は、その技術を超えたところにある事を教わったし、初心者でもベテランでも同じく求められた、無心で絵に向き合う姿勢と情熱を忘れずにいようと思った。  そして今は、迷ったり、怠けたり、熱い気持ちも忘れそうになる。  描く楽しさ、描く喜び、夢中で描き続ける情熱。  あの頃、デッサン教室で教わった一番大切な事を、改めて思う。

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