第20回記念道彩展
平成12年9月20日~9月24日/札幌市民ギャラリー


第20回記念図録掲載文
第20回記念展を迎えて/ 事務局長 1982年2月大同ギャラリーにおいて、現代水彩画の多様な表現と創造的な作品を迫求することを目的として、32人の同人展からスタートした道彩展(北海道水彩画会)も2000年の今年で第20回を迎えることになりました。 道彩展が創立された背景には、当時の道内公募展で発表されている水彩画の多くが、個性が希薄で、写生画に安住する傾向にあり、それが水彩画の限界と思われていたり、油彩より軽視されていることへの反省。そして、水彩画を愛するあらゆる分野の人々を広く集め、剌激仕合い、新しい表現と価値を認めあう広場を作ろうとしたことにありました。その同人展には、 その趣旨に賛同された国松登、八木保次(以上、仝道展会員)、納直次、今野ミサ(以上、道展会員)、沖本友吉(新道展会員)、川村正男(白日会委員)ら10人の先生の賛助作品も展示され、毎日新聞の日曜版に「道内の水彩画家によって、初めて組織化された展覧会」として、大きく紹介され話題となり、多数の入場者が訪れ好評を博しました。その年の総会において、第2回より公募展に改組することが決定され、亀松行雄ら8人の創立会員が承認され、その趣旨に賛同された前記国松登先生ら6人に顧問の就任をして頂きました。 この20年を振り返ってみると審査の在り方、会場作り、資金難、顧問の意見調整等々苦労の連続であったような気もしますが、よくもここまで継続したものと感心します。これも会員や会友等のご協力はもとより、顧問の先生らの熱心なご指導とご支援の賜物と感謝しております。特に八木保次先生には、創立以来、終始一貫変わらぬ愛情で、時には厳しくも温かい批評とご指導を頂き、頭の下がる思いです。 このところ、会員の中には道内外の公募展で会員又は会友に推挙され、今後の活躍が大いに期待されている若手作家も少なからず現れております。また、例年搬入点数が約300前後と道内公募展における水彩画の搬入点数としては最も多く、また多様な表現の作品も増加しており、水彩画を愛する仲間に広場を提供している意味での存在価値は十分見いだすことができるなど評価できる面もあります。 今後の課題としては、質の向上をどう克服するかにあると思います。そのために多くの作品を描き、深く追求すること、また良い絵を沢山鑑賞することも大切と思います。 21世紀に向けてさらに発展していくためには、見る人に感動を与えるような魅力ある作品を沢山展示できるよう一層努力していきたいものです。 最後に、これまでご支援やご協力頂いた各関係の方々に厚く御礼を申し上げます。
道彩会二十周年記念展を祝し設立の当時を想う 日本美術家連盟会員 白日会委員 川 村 正 男 事務局の小堀氏からの知らせで道彩会二十周年の記念展を開催することになり記念画集を発行することになり、何か一文を書けとのことなので、設立当時の事を思い出して少し書くことにしたが、20年も前の事なので記憶もうすれてるので違いがあるかも知れませんが、その点はご容赦願いたいと思います。 道彩会発足の頃は北海道に於いては水彩画の専門の公募展はなく、水彩画作家の間では早くから公募による水彩専門の展覧会を望む声があったのです。そんな時、水彩画家のS氏の提案で何とか設立の気運が生まれました。 そこで現役の画家の中から水彩に理解のある人に協力を要請して廻り、顧問として6名の方々が集まり色々な準備のための会合と話し合いを重ねて、北海道水彩画会の結成を見ることが出来ました。第1回発会記念展を同人と賛助出品者が夫々出品して大同ギャラリーに於いてスタートしま七た。第2回目以後は公募展とし会場を現在の札幌市民ギャラリーに於いて行う事になりました。 然し20年の間には亡くなられた顧問もすでに3名となり、また各々の事由により退会された顧問もありでなかなか順調と言うわけには行かなかった面もありました。でも道彩展の方は順調に育ち、最初はヨチョチ歩きでしたが今では立派に成長し、展覧会の内容も充実して参ったように思います。我々元顧問としては大変にうれしく感無量です。 この会を最も愛し、充実に努力し色々な困難を乗りこえてこられた会員の皆様と、中でも事務局のご努力は並大抵で無かったことと深く感謝するものです。これからは更により良い発展を念願致します。
道彩会の創立二十周年を祝して 道展会員 日本水彩画会会員 今 野 ミ サ お目出度うございます。道彩会創立二十周年という、記念すべき節目を、堅実な歩みでの発展をお続けになっていられる中で迎えられましたことに、水彩を愛好している者の一人として、先ずもって、心からのお喜びを申し上げたいと思います。 その道彩会の今日の姿を見ますにつけて、私は、会の誕生時におきましての国松登先生や菊地又男先生の、そうした組織の、絵画に対しまして心しなければならない姿勢や、その組織の礎石となります会員の責任と、美を追求するあくなき情熱の肝要さを、厳しくご指導になられましたことを思い出すのですが、その先生方のご指導を道彩会の会員の方々が、八木保次、伸子両先生の暖かいお支えの中で、事実とすべく積まれました実践の成果が、道彩会の今日をあらしめたのだと思うのです。 しかし美を追求する創作の道は、これでよしとするときのない、けわしさの中で限りなく続くのです。その道を歩み続けます会員のお一人おひとりのそれぞれに追求される美を、より確かな自分のものにしようとされる、あくなき精進こそが、道彩会を魅力あるものにし、水彩の持ち味に興味を持って、この組織の求めに応ずる仲間を増やし、道彩会の存在を、より確かなものにするのではないでしょうか。 そうであってこそ、道彩会の存在は、本道美術界に、確かに位置づくのだと思います。 会員の皆様のご健康でのご活躍をお祈りしながら、もう一度創立二十周年を、心からお祝い申し上げます。
道彩展と私 春陽会会員 女流画家協会委員 全道展会員 八 木 伸 子 東京から札幌に戻って、はじめて水彩の教室を受け持つことになったのは、23年前のことです。それまで絵は教えるものではないと思っていました。ただ永年苦労して描きつづけたことで、何か初心の方にアドバイス出来るかと、お引き受けしたわけです。私は主に油絵を描いていますが、海外の油の作家は皆水彩も描いていて、ピカソやシャガール、セザンヌの晩年の水彩などいい作品が沢山あり、制作の参考にしていました。 道彩展が発足した時、それまで北海道の水彩が、非常にかたよっていると思っていましたから、自由にいきいきした会になればと期待しました。ただ八木と二人で審査などしたら、又問題も起きると考え、あくまで黒子として、会の外から協力しようと決心しました。 ただ、公募展は出品者がいなくては成立しません。 だから教室の人は勿論油絵を描いている人達にも出品をすすめました。出品をすすめた人が次々最高賞をいただいたり、いろいろの方が成長するのを見るのは、うれしいことでした。近頃では中田やよひさんや、折登朱実さんなど、中央の展覧会で油絵作家の中にいても目立つ存在となっております。 何しろ、道彩展で皆さんの作品を見ると、いつも新鮮な感動でドキドキし、早く家に帰って絵が描きたくなる私でした。 最近では一般出品の水準が上がり、早くに会員になった方達も負けてはいられなく、それぞれ努力されているのが感じられます。ただ会員という名に甘えることなく、審査という重責もあるのですから、いい絵とは何か、日々お勉強(私もですが)して頂きたいです。 いつまで続くか危ぶまれたこの会が、二十周年を迎えるには、小堀氏の人知れぬご苦労、古参の方々のご努力も忘れられないことです。今回で又初心に戻り、いきいきと独特の魅力あふれる会に発展なさること、お祈りしております。
道彩展によせて 会員 青 木 美 樹 とても幸運でした。道彩展と出会えたことは。自由に絵を描ける喜びは、思い切り手脚を伸ばし、心の底から深呼吸するような快さでした。この会は、物の見方、考え方、価値観にまで幅を与えてくれました。数年は、そのうれしさと仲間の温かさとに守られて、夢見心地ですごしました。 でも次第に、その「自由」が重くなって来たのです。ひとりよがりと個性とは違います。単に我を通すことと、自己主張ともまったく異なります。そのボーダーラインは何処にあるのか? そもそも一体絵とは何なのか? これらの疑問が、いつもいつも胸中を去来します。王道はないけれど、それを知る唯一の方法は、自分自身を丸ごとぶつけ、試行錯誤しながらも「創作し続けること」なのかもしれない。刻々と変化して行く宇宙の片隅に在って、一瞬の時を切り開いて、空白の大地に己の世界を創るという作業は、その時その時の生き方を問われ、試されて居るということなのかもしれない。最近、漠然とそんなことを考えて居ます。 会の為に役立つことの出来ない非力さを、いつもふがいなく感じ、様々な過程を経てこの会を創立して下さった諸先生、諸先輩、この会の運営に当たり、貴重な時間を割いて地道な努力をして下さっている方々に、この紙面をかりて、心からの敬意と沢山の感謝の気持ちを贈りたいと思います。 最後に、「道彩展」が既成概念に依ることなく、多様な創造性を尊重し、佳き絵画を追求する会としてますます発展することを心中より強く祈念いたします。
道彩展のことなど 会員 折 登 朱 実 はじめて出品したのが5回展で、9回展で明らかに気がのっていない絵を並べて、八木保次先生にひどく叱られた想い出がある。 先生はお忘れで「ひどく」ではなかったかもしれないが、こたえた。それは心の持ち方の問題であったと今も理解している。構成や技法のことを言う先生はあっても、思想のことをおっしゃる先生を他に知らない。 描き方の違いはあっても、自身のおおらかな気持ちと良いモチーフと色とかたちと線がからみ合った「最後の瞬間」を手に入れたいと作家なら誰でも夢みる/その一瞬を逃さぬようつかまえることのなんと困難なことか。通り過ぎてから気がついても、同じ手順は踏めない。自分かど んな状態の時によい仕事ができるのか、この10年そんなことを考えなが ら描いてきたようにおもう。 公募展に出品し続けていると酸い思いをさせられることがある。息んで他を圧倒しようとする絵が毎年並ぶ。誰彼が批評をしてくれるがそれは呪縛にもなり、最大の魅力である「欠点」を矯正し、よくあるおもしろくもない絵にしてしまうかもしれない。団体展の負の部分だ。幸いにも、道彩展は自然のまま好きなように描かせておくところが残っている。多勢の絵や意見を真に受けてはいけない。 先頃、長谷川利行展をみた。まっかな少女の絵の前で同行した人が「こんな絵は一寸描けない」と言ったが、同じ土俵に立する者が道彩展には幾人でもいるようにおもった。 「対象」を生け捕りにし、考える隙をつくらぬためにも驚くほど性急に絵の具を置き描きあげて、行き倒れた利行。作為のない絵と向き合っていると、自分を縛っているものから解放されるような気がするのだった。
自分の歌 全道展会員 道彩会特別会員 八 木 保 次 成り立ちがどうであれ、道彩会が20年も続いて来たのは、この会は自分達の会だという気持ちがあったからだと思う。 いろいろの事もあったと思うが、皆の絵に対する意欲が強かったからと言えよう。 アンデパンダン島という西欧の小さな島の住人は、一曲づつ自分の持ち歌を持ち、一生それぞれが推敲しつづけたという。その平凡であたり前の姿がステキだと思う。